SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.105
「ビルの街に
ガオー」
について

(2009年8月1日)


大昔の話です。
小学生の時の思い出話を「二つ」します。

いつ頃の話か、もうすっかり忘れてしまっているのですが、その二つとも担任の「津田先生」が絡んでいるので、多分私が小学校低学年、1年生か2年生の時だったと思います。
津田先生が私の担任だったのは、確かその頃だからです。

津田先生は、ちょっと洒落た眼鏡をかけた女の先生でした。
30歳前ぐらいだったと思います。
も少し若かったかな。
生徒思いのとても優しい先生でした。



まず一つ目の話です。

津田先生がある時、私たちの前でこう言ったのです。
「鉄人28号の主題歌、『ビルの街にガオー』の『ガ』の言い方、とても素晴らしいのですよ」。

「鉄人28号」は、当時漫画でもテレビのアニメーションでも子供たちの間で流行っていたSF冒険ドラマでした。
「アニメ」という呼び方はまだ一般的ではなく、「テレビ漫画」と呼んでいた様な気がします。

「横山光輝」の大きなロボットが出てくる物語で、「光文社」の「少年」で「1956年」から「1966年」まで、10年間も連載が続く大人気漫画でした。
そして「1963年(〜66年)」からはテレビでもアニメーションが始まったのです。
まだ白黒放送の時代です。

オープニングは、深夜のオフィス街に巨大な影が伸びて行き、カメラが見上げると吼える鉄人が登場、以降悪者たちと戦う鉄人の活躍が描かれて行く、と言うモノでした。
その時の主題曲が勇ましい「少年少女合唱団」の歌声で、「ビルの街にガオー」と始まっていたのです。


急に先生が「鉄人28号」の話を始めたので、私たちは皆吃驚しました。
そして先生はこう続けたのでした。
「『ビルの街にガオー』の『ガ』の前に、小さな『』を付けて唄っているでしょう?皆さんも今度よく聴いてご覧なさい。ちゃんと『ビルの街にガオー』って唄っているのが判りますよ」。
不思議に思っている私たちを先生は見渡しました。
「こんな風に、『ガ』の前には小さな『』を付けて、『ガ』って言うのが、正しくて美しい発音の仕方なんですよ。皆さんもこれから覚えておくと良いでしょう」。
「ガオー」じゃなく「ガオー」。


そう言えばあの時、先生が言っていたなぁ、とネットで調べてみたのはつい最近の事です。
それまで一度も調べて見なかった私も、先生にとっては教えがいのない不出来な悪い生徒であった事でしょう。

「が」の発音には2種類あるのだそうです。
「ga」と「nga」で、前者は単に「濁音」、後者は「鼻濁音」と呼ぶのだそうです。
単語内での使う場所や、使われている地域によっても、その使い分けは異なっているとの事でした。
また、一般的に「鼻濁音」を使った方が「上品」に聞こえるのだと言います。
最近はこの「鼻濁音」を使えない・使わない若い人が増えてきて、嘆かわしい事等々、いろいろと考察されておりました。

なるほど、です。

あの時、津田先生は私たちに「昔からの丁寧な『が』の言い方」を教えて下さったのでしょう。



二つ目の話です。

津田先生がある時、私たちの前でこう言ったのです。
「今度体育館で、皆さんと一緒に『大きなゴリラが出てくる映画』を観ます」。

今でも行われているかどうかは知りませんが、当時は時々、学校の体育館でみんなで映画を観たのでした。
体育館の床に直にお尻を着け、大人しく体育座りをして2時間弱の映画を観るワケですから、冬場の寒い時期ではなく、春夏の行事だったのでしょう。

もちろん各家庭にはテレビがあり、毎日、ドラマやアニメを見ていましたが、その多くはまだ「白黒放送」でした。
ですから大きなスクリーンで、しかも「カラー」で観る映画は、とてもワクワクする楽しいイベントだったのです。

それにしても「大きなゴリラが出てくる映画」って何だろう?
珍しい記録映画なのかな?
空想のお話なのかな?
詳しい話を訊こうにも、津田先生自身、映画の内容をあまりよく知らない様子だったのです。


そうして、その週の何曜日だったか、皆で体育館に集まりました。

多分「35ミリ」じゃなく「16ミリ」での映写だったのでしょう。
皆が体育館の床に座り、やがて場内が暗くなります。
カタカタカタと映写機の小さな音が後から聞こえてきます。
そしてスクリーンに映し出される、丸い円の中の映画会社の文字。
その周囲には極彩色の光が四方八方に走っています。
映画が始まりました。
「大きなゴリラが出てくる映画」。
それは「キングコング対ゴジラ」だったのでした。


「キングコング対ゴジラ」は「1962年」に公開された東宝SF映画です。
私が体育館で観た「キングコング対ゴジラ」は、一般公開や地方公開が終わり、数年経った後、ようやく小学校に「巡業」で降りてきた物だったのでしょう。
当時は映画会社の宣伝のため、そして「未来の新しい顧客開拓」のため、よく小学校の体育館や夜の校庭で「野外上映会」が行われたモノでした。

すでにテレビで「ウルトラQ(1966)」を熱中して見ていましたので、「怪獣」は知っていました。
しかし大きなスクリーンで、しかもカラーで所狭しと暴れまくる2匹の怪獣の大迫力に、私はとても興奮したのでした。

もしかしたら、私が体育館で「キングコング対ゴジラ」を観たのは、テレビで「ウルトラQ」が大人気だったのに合わせた「1966年」の事だったのかも知れません。
違うかな。

小学生の時、体育館では他にもいくつか映画を観たと思います。
教育的な記録映画もあったし、人形コマ撮り映画も観た様な気がします。
しかし、そのほとんど観た映画のタイトルを忘れてしまっているのに、この「キングコング対ゴジラ」だけはハッキリ覚えているのです。
それ以降、この映画は私の大好きな映画となり、何回も何回も映画館やLDで観続けて、それは以前、エッセイ「東宝SF映画(4) キングコング対ゴジラ」にも書いたほどなのであります。




津田先生とは小学校を卒業してからも、数年は年賀状のやり取りをしていました。
が、それも私が高校に入る前には止めてしまいました。

小学校低学年の時の担任で、眼鏡をかけた優しい女の先生だった事以外、もう全ては記憶の彼方になってしまいました。

当時の小学卒業記念本を引っ張り出し、それを見れば先生の姿形を再確認出来るのでしょうが、ちょっと恐くてそれも出来ません。

今何処で何をしているのかも、今日日ネットで調べてみれば分かるのかも知れませんが、同様、それも恐くて出来ません。

ただただ今でもハッキリ覚えているのは、「ビルの街にガオー」の話と、キングコング対ゴジラを「大きなゴリラが出てくる映画」って言っていた話、この二つなのであります。

それで良いと、私は思っているのでした。


あ、も一個思い出した。
ルイスの「ナルニア国物語 ライオンと魔女」を朗読の時間、読んでくれたっけ。




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