今回は関東ローカルな話です。多分。 しかも大昔の話です。多分。 昔、「男達の夜・・・かな!?」というラジオの深夜放送がありました。 1977年から1981年まで(20120225訂正。1973年から1981年)AM局の「ラジオ日本」(当時はラジオ関東という名前でした)で、火曜日の深夜2時(正確には水曜日の午前2時)から放送されていた番組です。 この「男達の夜・・・かな!?」、パーソナリティーを「広川太一郎」氏が務めており、「広川太一郎ファン」である私は学生の一時期、この番組に深くハマっていたのでありました。 今はどうだか分からないのですが、当時、学生たちはこの手のAM放送局の「深夜放送」にみんな熱中していたモノでした。 TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」や、文化放送の「セイ・ヤング」、ニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」など、時間のやりくりをして、それぞれの番組を(結構全て)聴いていたのでした。 私にとっての「青春時代」や「学生時代」の記憶には、必ずこれらの「ラジオの深夜放送」の思い出が付いてまわります。 思うに、当時は若者向けの「テレビの深夜放送」があまりなかった、という事実や、今のように「家族の中で各個人がそれぞれの部屋にテレビを持っている」という様な時代ではなく、それだけに「ラジオの深夜放送」が若い学生たちに流行っていたのだろう、と思います。 今から考えると、平日の深夜、何で「朝の3時やら5時」ぐらいまで深夜放送を毎日聴けていたのか、まったくもって謎です。 当然、次の日には朝早くから学校があり、深夜放送を聴いた後、数時間寝ただけで学校に行っていたのです。 そんなこんなで、学生時代の私の睡眠時間は、今よりもはるかに短かったのでした。 本当に、何でこんな毎日が可能だったのでしょうか。 基本的に「授業中は寝ていられた」という事だったのでしょうか。 また、親に見つからない様にベットや布団の中で「イヤホーン」でこっそりと聴くラジオ深夜放送という「ちょっと背徳的な秘密の儀式」が面白かった年頃だったのかも知れません。 で、「男達の夜・・・かな!?」です。 その番組の中には様々なコーナーがあり、その中の一つに「ショート・ショート・コーナー」というモノがありました。 毎週、リスナーたちが投稿した「400字詰め原稿用紙一枚」の「ショート・ショート」を数編選び、広川太一郎氏が読み上げてくれる、というコーナーでした。 あの「広川太一郎」の声で自分の書いた文章がラジオから流れてくるという、その事の素晴らしさと感激を味わいたくて、私はせっせと毎週、「ショート・ショート」を書き、番組宛てに送ったのでありました。 また、当時は「星新一」や「フレデリック・ブラウン」など、「ショート・ショート」が流行っていた時代でもあったのです。 その時の私のペンネームは「零十三」という名前でした。 この「零十三」は「れいじゅうぞう」ではなく「れいじゅうさん」と読みます。 この「男達の夜・・・かな!?」の前にテレビアニメの「宇宙戦艦ヤマト」ブームがあり、私もご多分に漏れずそのアニメに熱中し、「零十三」の「十三」はその中のキャラクターの「沖田十三」から頂きました。 また、小さい頃から「怪奇」やら「ホラー」やら「オカルト」といったジャンルに興味を持っていた私は「十三」という「不吉」とされている数字をあえて自分のペンネームにしようと思ったのでした。 名前が「十三」なら、名字も「零」という「数字」が良いと思い(この零は霊という文字も連想されるところも気に入って)、私のペンネームは「零十三」になったのでした。 で、頻繁に投稿したせいか、私の作品は数回に一度は番組で読まれるようになり、私は「ショート・ショート・コーナー」の(多分)「レギュラー」という地位を獲得したのでした。8年間続いた番組の、ある一時期の事ではありましたが、「常連」という言葉の響きに私は日々ウットリしていたものです。 ああ、輝かしい過去の栄光・・・。 さらに、その番組から派生し、レギュラー連中で実際に会って集まろうという「ショート・ショート・コーナー・ファンの集い」なるイベントにも足繁く通ったモノです。 渋谷やら恵比寿やらの「レンタル会議室」で行われたその会合では、毎回「各自がショート・ショートを書いてきて発表する」という、今から思えばとても微笑ましい集まりでした。 出不精で人見知りな私が何故、そんなイベントに参加したのかも、今から思うとまったくの謎です。 若気の至り、というモノだったのかなあ。 また、当時、「セルフ出版」という所から「小説マガジン」という月刊誌が発刊され、「ショート・ショート・コーナー」の番組提供スポンサーであった事から、創刊2号目に「男達の夜・・・かな!?」の「傑作ショート・ショート」として、私「零十三」の「幽霊がやって来る」という作品が掲載された事があります。 私はつい先日、この「小説マガジン」をインターネットの古本屋で発見し、懐かしさのあまりさっそく購入し、自分の作品が載ったページを何度も何度も繰り返し見ては「おお」と数十年ぶりに感動を新たにしたのでした。 私の書いた小説が「活字」になったのは、これが最初で(今のところ)最後であり、この本はウチの大切な家宝となっているのでありました。 (そのショート・ショートを読みたい方はこちら) 今ではラジオなど滅多に聴かない私ですが、今でもその頃の「ラジオ深夜放送時代」の事を懐かしく思い出し、感慨に耽っている今日この頃なのでした。 ああ、それにしても、当時、同じレギュラーであった「小田島さん」や「根本さん」、今は何処で何をやっているのかなあ。 元気かなあ。 このエッセイを見るような事があったらぜひとも連絡して欲しいなあ。 などと、実は今回のエッセイ、「人捜し」のエッセイなのでありました。 えへへへへ。 |
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