SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.67
「昔の石森章太郎が好き その(2)」
について

(2005年8月6日)


石森章太郎の「おかしなおかしなおかしなあの子」は、私が一番大好きな作品です。
「石森漫画の中で」と限定しなくても、大好きな漫画なのです。

今回はそれについて書きます。
猿飛エツ子「エッちゃん」のお話です。



「おかしなおかしなおかしなあの子」は少女漫画誌「週刊マーガレット」に「昭和39年春から翌年の春(1964〜65)」にかけて「42回」連載されました。
続いて第二部として「おかしなあの子」が「昭和40年春から夏(1965)」に「8回」連載。
さらに、第三部「さるとびエッちゃん」が「昭和40年秋から翌年春(1965〜66)」に「12回」連載されました。

この長いタイトル「おかしなおかしなおかしなあの子」は、当時ヒットした「スタンリー・クレイマー」のコメディ映画「おかしなおかしなおかしな世界(1963)」を捩ったものです。
また、主人公の名前「猿飛エツ子」は「猿飛エテ公(つまり猿)」の捩りでもあります。
漫画の中でも度々「エツ子は猿(に似ている)」と悪童たちにからかわれています。
TVアニメ化された「さるとびエッちゃん(1971〜72)」では「猿飛佐助33代目の子孫」と設定されていますが、漫画では単に級友たちが「わあ 猿飛だって!?」「猿飛佐助の子孫かもね」と噂するだけで、どちらかと云えば「超能力者・エスパー」として設定されていた様に思います。
当然「エッちゃん」は「エスパー」を連想させる名前でもあります。

「エッちゃん」の物語はその後も、「平凡(おかしなあの子)」「新婦人しんぶん(おかしなあの子)」と続き、70年代に入ってからも「少女フレンド(さるとびエッちゃん)」「なかよし(さるとびエッちゃん)」「たのしい幼稚園(さるとびエッちゃん)」、80年代には「読売新聞水曜日版(エスパーエッちゃん)」等に連作されていきました。


私が持っているのは「虫プロ」の「石森章太郎選集」版です。
その全三巻の内容は以下の通り。

【第一巻】
「転校してきた子の巻」
「ああ友情の巻」
「名犬ゴンの巻」
「催眠術の巻」
「こんにちわ赤ちゃんの巻」
「クズイおはらいの巻」
「いじめっ子の巻」
「おみまいにお人形の巻」
「春がきた春がきたの巻」
「泣いているの巻」
「うたを忘れたカナリヤの巻」
「おかあさん きらいの巻」
「神さま あらわるの巻」
「お祭りテンヤワンヤの巻」
「新版 かぐや姫の巻」
「子どもどろぼうの巻」

【第三巻】
「つゆ入りの巻」
「世界大魔術団の巻」
「星にねがいを・・・の巻」
「おかしな おうちの巻」
「お庭の海の巻」
「お車さまのおとおりだいの巻」
「よっぱらいの竜の巻」
「白と黒の巻」
「夏休みのおわりの巻」
「ピノキオの巻」
「きみ知るや南の国の巻」
「近くて遠いふるさとの巻」
「チビチビ物語の巻」
「クマがりの巻」
「おかあさんの手の巻」
「エッちゃんの運動会の巻」
「オリンピック裏話の巻」
「くじゃく殺しの巻」
「先生のお見合いの巻」
「枯葉の巻」
「泣かないでの巻」
「カモとりゴンベエさんの巻」

【第三巻】
「鳥の巻」
「メリークリスマスの巻」
「ロボ子ガンバルの巻」
「めでたいなの巻」
「おとしだま おとしたの巻」
「エッちゃんカルタの巻」
「サヨナラの巻」
「またよろしくねの巻」
「エレキギターの巻」
「ネコぎらいの巻」
「こわい話の巻」
「星を見る少年の巻」
「クリスマスプレゼントの巻」
「あけましておめでとうの巻」
「おねえちゃん きらいの巻」
「スキー教室の巻」
「パパがわらったの巻」
「ここほれ わん わんの巻」
「ブクはうち オニはうちの巻」
「おかしな あの子の巻」

これは「週刊マーガレット」に「1964年春〜65年春」にかけて連載された「第一部」と、「1965年秋〜66年春」に連載された「第三部」が中心となっています。
私はこの時期の「エッちゃん」が好きです。


お話は、こうです。
「満賀町第一小学校」の「4年B組」に通う「ミコちゃん(広岡三枝子)」と「モモちゃん(モモヨ)」のところへ、ある日「エッちゃん(猿飛エツ子)」が転校して来ます。
「オ・・・おらあ おらあ その 猿飛エツ子でがス」
「みなさん ドンゾ よろスくナ」
はにかみながら辿々しく挨拶するその小さな女の子は、とても不思議な力を持っていました。
動物と話せたり、遠くの物を手を使わずに動かせたり出来たのです。

この物語は超能力少年「ミュータント・サブ」の「変奏」です。
「ミュータント・サブ」の「小さな女の子バージョン」なのです。

以前の私のエッセイ「少年の友達は、異形」にも書きましたが、「不思議な転校生がやって来る」という物語の始まりは、宮沢賢治の「風の又三郎(1934)」に代表される「童話」「児童文学」「ジュブナイル物」の「王道パターン」の一つです。

ちなみに物語の始まりの多くは、「外からやって来る(外的因子)」か「内から始まる(内的因子)」の二つに分ける事が出来ます。
「転校生パターン」はもちろん前者で、これには他に、トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」やストーカーの「ドラキュラ」、ウェルズの「宇宙戦争」、TVアニメの「未来少年コナン」などが挙げられます。


突然やって来た「エッちゃん」は、いつの間にか空き地に建っていた「ほったて小屋」に「おじい」と「お姉ぇ」の三人で住んでいます。
実はこの「ボロ小屋」は「最先端の超科学技術」で作られています。ドアや室内は全自動化され、部屋の中には「ロボット螢」が室内灯の代わりに飛び回っているのです。
ボタンひとつで「板張りの床」が「畳」に変わる仕組みもあります。
家事全般は「万能女中」の「ロボ子」が仕切っています。

この「サイボーグ009」の「ギルモア博士」に似た「おじい」の名前は「猿飛白雲」といい、雲を呼び寄せ雨を降らしたり、死んだ人間を生き返らせたり、精巧なロボットを作ったりする「超科学者」です。
しかし、いつもは「お姉ぇ」と一緒に町内の「クズ払い」をしているのです。
「エッちゃんちにはサ カラーテレビでもなんでもあんのにサ どうしてクズ屋さんなんかやってんの?」
「人間のおとなにはの なにか仕事をする義務があるんじゃ」

「エッちゃん」の家には両親がいません。
「おとうと おっかアは とおいとこさ いってるだよ」
友達の「モモちゃん」に「エッちゃん」は、こう説明します。
「とおいところって・・・ 外国?」
「エヘ もっともっと とおいところだ」

「いったいどこなの?」
「エヘ お星さまンとこ・・・」
「なんだ じゃ やっぱり死んじゃったんじゃない」
「エヘ スんだんじゃないだども・・・、チーともかえってこないだから・・・、スんだもおんなズだべナ」

当時の少女漫画では「お父さんとお母さんはお星様の所」と言えば「亡くなっている」暗喩でしたが、「石森漫画」ではそれはその言葉通り「惑星に行っている」のであります。

その証拠に「巻き貝」に吹き込んだ「声の手紙」が時々「エッちゃん」の元に届くのです(この巻き貝というのも石森漫画の詩情アイテムの一つです)。
「パパの研究がのびてなかなかうちへかえれませんが・・・ゆるしてネ。・・・いっしょに火星の運河のほとりにさいている花をおくります」
どうやら「おじい」同様、「エッちゃん」の両親も「科学者」、しかも普通の科学者ではない様子なのです。

「おかしなおかしなおかしなあの子」には「石森漫画」らしく「SF」が入っているのです。


連載中の前期と後期に、2回ほど表紙ページを使って「猿飛エツ子」の「能力」が紹介されています。
それには、こう書いてあります。

「エッちゃんのおかしな力」
「動物とハナシができる」
「サイミン術の名人」
「植物などの成長をはやめる」
「スポーツはなんでもこのトオリ」
「空をとべる」
「パッときえる(はやくうごくからそうみえる)」
「くらやみでも目がみえる」
「とおくから物をうごかせる」
「これらぜんぶ科学的にせつめいできることばかりです」

「エッちゃんの超能力」
「動物語・・どんな動物ともおはなしができます」
「サイミン術・・サイミン術で相手にじっさいには起こらないことを起こったようにみせることができます」
「ニオイ・・どんなものでもかぎわけ、さがしだすスゴクきくハナを持っています」
「観念動力・・こころで思った物体を手を使わずに動かす力です」
「行動力・・とびあがれば、かるく100メートル、走れば、マッハ15(1秒間に約5K)のスピードをだせます」
「時間旅行・・マッハ12の超スピードで左にまわれば過去へ、右にまわれば未来へいくことができます」

当初は掲載誌「週刊マーガレット」の少女読者に遠慮してか「おかしな力」と言っていたモノが(それでも科学的に説明出来ると大見得を切っているのですが)、最終的には「超能力」とハッキリ宣言しているのがとても微笑ましく「SF者」には嬉しいのであります。

それにしても「走れば、マッハ15」とは「実に大きく出た」モンです。
昔のTVアニメ「スーパージェッター(1965)」の「流星号」が「マッハ15」ですから、それと同じスピードで「エッちゃん」は「走る」事が出来るのです。
凄すぎます。
さらに「エッちゃん」は自分の意志で「過去や未来」にも行く事が出来るのです。
私は常々思っているのですが、「石森章太郎」が創造した数々の「超能力者」の中で、一番凄い能力を持っているのが、この「エッちゃん」なのではないでしょうか。

そう言えば、「ミュータント・サブ」の中に「エッちゃんとサブ」というエピソードがありました。
あの「サブ」が「エッちゃん」の前ではまるで形無しの、私の大好きな話でした。



それでは、「おかしなおかしなおかしなあの子」の中から、私の好きなエピソードを幾つかご紹介します。


「きみ知るや南の国の巻」
夏休みが終わった二学期初日。
「ボクは 海へ二回 いったんだ」
「オレなんか 五回も いったぜ」
「あたいは 山へいったわ」
「ミイなんか ハワイへ いってきたのヨ」
楽しい体験談をみんなが自慢し合っている中、ひとり青白い顔をした男の子がいます。
彼は夏休み中ずっと病気で寝ていたのです。
級友の「夏休み中、どこにも行かなかった?」の問いかけに、彼は思わず「南海の孤島へいった!」と嘘をついてしまいます。
「そこでボクはいろんな冒険をした!」と精一杯の虚栄を張ってしまうのです。
しかし、それがとある小説通りであった事から嘘がバレてしまい、全員に「うそつき!!」「おおぼらふき!!」と糾弾される事になります。
可哀想に思ったエッちゃんは、「ンダ!うそじゃないだ スズキくんはホントに南のスまへ いってきただ」と味方します。
そして、クラスのみんなに「集団催眠」をかけるのでした。

気がつくとクラス全員が嵐の中、一つの筏に乗っていました。

「エヘ その気に さえなれば 子どもなら だれだって 南のスまに いけるス 冒険だって できるだヨ!」

みんながたどり着いたのは、南海の孤島でした。
そして様々な大冒険が始まるのです。

このエピソードが素敵なのは、その島にボートで救助にやって来た船長が、いつものクラス担任「白雪先生」である事です。
「なぜです いったい どうしたんです?」
「エヘ 集団催眠だヨ みんなまとめて 催眠術 かけただヨ」
「先生も かかっているわけ!!」

さらに最後のページが秀逸なのです。
「4年B組」の前を通りかかった別のクラスの先生が、その教室を見てビックリしています。
生徒たちが並んで座っている教室の中は「ジャングル」で、船長服姿の「白雪先生」が困惑しながらも、「と とにかく・・・ 出席をとります」と言っているのでした。


「カモとりゴンベエさんの巻」
これは「猟師」に狩られる「鴨」たちを、「エッちゃん」が助けるエピソードです。
「初期の石森漫画」チックなお話です。
なにせ全編、エッちゃんの「エヘ」と鴨たちの「クエッ?」という鳴き声だけで展開していく物語なのです。
「エヘ?」
「クァッ」
「エヘ クァッ ククエッ?」
「クエッ!」
「エヘ」
この物語では「猟師」も、「ウオウ」「ウアッ」「ヒーッ」と感嘆符を発するだけで一切のセリフがないのです。
「初期の石森漫画」のシリーズ物には、この手の「詩情性溢れる無言劇」が必ず一編は入っていたモノであります。


「よっぱらいの竜の巻」
夏休みに「ミコちゃん」の田舎の友達「ヤエちゃん」の所へ遊びに行くエピソードです。
そこには「竜が住む沼」の伝説があり・・・。
「初期の石森漫画」の代表作であり大傑作の「龍神沼」の、これは「エッちゃんバージョン」なのであります。
そこでも村長は神主と組み、「竜伝説」を利用して村人たちから多額の寄付金を騙し取っていました。
それを「エッちゃん」が暴き懲らしめる物語であります。
この「神を騙る者」ネタは、「神さま あらわるの巻」でも使われていた「石森章太郎」が昔から好きなプロットです。


「サヨナラの巻」
これは「第一部」の最終回です。
ひとつの流れ星が墜ちて来たその深夜、「エッちゃん」の小屋を訪ねた二人の人影がありました。
「エッちゃん」のお父さんとお母さんです。
この導入部から始まり、「ミコちゃん」と「モモちゃん」の周囲に不思議な事件が起こり始めます。
そして、「エッちゃん」がその怪事件を解決した時、彼女は転校していくのでした。
担任の「白雪先生」に告げただけで。

転校の事実を知り、ビックリした友達たちは「エッちゃん」の小屋があった野原にやって来ます。
でも、もう小屋はありません。
「エッちゃん」の姿もありません。

最後のコマは縦長です。
何も無くなった空き地で「エッちゃん」を探す友達たちの姿。
「エッちゃーーーん」と叫ぶ声が大きく空に広がっています。
その空はすでに暮れなずんていて、
そして。
雪が降り始めているのであります。

昔の少年漫画の、もちろん本シリーズは「週刊マーガレット」に連載された少女漫画でありましたが、由緒正しい王道の「最終回」なのであります。



私は昔から「エッちゃん」を描いた一枚の色付きイラストが頭から離れないのです。
それは、とても大好きなイラストなのです。

奇麗な夕焼けを背景にして、シルエットとなった高い電柱が一本。
どうやって登ったのか、そのてっぺんに赤いランドセルを背負い膝を抱えて座り込んでいる小さな女の子が一人。
彼女は頬杖をつき、何を考えているのか、ただただ空を見上げているのでした。

この絵には私の好きな「初期の石森漫画」の、「おかしなおかしなおかしなあの子」の全てが詰まっています。

それは前エッセイでも述べた「超常者の孤独」です。
しかし、そこには「ミュータント・サブ」とは違う「優しさ」と「癒し」も感じられるのです。
「エッちゃん」のドングリ眼に宿る「無垢さ」のためかも知れません。
「くの字」に広がった「アルカイック・スマイル」のためかも知れません。
無口な彼女が時折発する「エヘ」という「照れ笑い」のためかも知れません。
いや何より、
小さいながら女の子である「エッちゃん」の「母性」のため、かも知れないのであります。




さてさて。
最後にちょっとだけ「大友克洋」の話をします。

「AKIRA(1984〜93)」の中に散在する「金田」や「鉄雄」、「28号」というタームが示す通り、これは「横山光輝」の「鉄人28号」に捧げられた物語でありました。
そして彼の出世作「童夢(1983)」は「エッちゃん」に捧げられた物語でした。
それは超能力少女「悦子」というヒロインの属性のみならず、何よりこれは、「おかしなおかしなおかしなあの子」でも度々描かれた「悪い大人を子供が懲らしめる」物語であり、「石森漫画」が得意とした「神を騙る」テーマでもあったからでです。
(ちなみに、大友の『Fire-ball(1979)』は『手塚治虫』の『鉄腕アトム』に捧げられた物語です)。
「大友克洋」と「石森章太郎」には、幾つかの興味深い「接点」があります。
劇場アニメ「幻魔大戦(1983)」でキャラデザインをしたのが「大友」でしたし、二人は「宮城県出身」という「同郷」なのです(ちなみに同じ高校でした)。




さてさてさて、と言うワケで。

次回(これはいつになるか分かりませんが)「昔の石森章太郎が好き その(3)」では、「龍神沼」と「幻魔大戦」について語りたいと思っています。
テーマは、「姉」、であります。
本当かな・・・?

エヘ。


(追加補記20170909)
最近ハマっている地上波のアニメに「僕らのヒーローアカデミア」という作品がありまして。

そこに様々な「特殊能力を持ったヒーロー・ヒロイン」が出てくるのですが、その中の一人に「蛙吹梅雨(あすい つゆ)」という高校生の女性能力者が出てくるのです。

彼女は「カエル特性」を持ち、超常なジャンプ力や20メートル伸びる舌を持っているのですが、その外見が「団栗眼」に「エヘ」の口をしているのです。

私は、これは完全に石森の「猿飛エッちゃん」のオマージュなのだろうなあ、と確信しているのでした。






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