SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.85
「ペ・ドゥナに関する2・3の事柄」
について

(2007年10月20日)


私はちょっと前から「ペ・ドゥナ」に嵌っているのであります。

若手の、といってもすでに20代後半になってしまいましたが、韓国の女優さんであります。


私は今まで「韓流ファン」でも「韓国ドラマ通」でも無く、いや今でも無いのですが、彼女に関しては「韓国」という「属性」とは関係なく、久しぶりに熱烈なファンとなってしまったのです。

そもそも私は昔から映画好きではありましたが、一人の俳優のファンになる事は少なく、特に女優でいえば、「オズの魔法使い(1939)」の「ジュディ・ガーランド」は可愛いとか「マタンゴ(1963)」の「水野久美」は妖艶だとか「マイ・フェア・レディ(1964)」の「オードリー・ヘップバーン」は可憐だとか「メル・ブルックスの大脱走(1983)」の「アン・バンクラフト」は芸達者だとか「アダムスファミリー2(1991)」の「クリスティーナ・リッチ」は格好良いとか「亀は意外と速く泳ぐ(2005)」の「蒼井優」は面白いとか、役者を好きになるより映画の中の「キャラクター」を好きになる方が多かったのです。
そんな私が女優自体のファンになったのは、大昔、中学生の時に好きだった「スーザン・ジョージ」ぶりかも知れません。
って、古すぎて誰も「スーザン・ジョージ」知らないでしょうけども。


「ペ・ドゥナ」は1979年ソウル生まれ。
1998年に広告モデルで芸能界入り、テレビドラマを経験した後、「韓国版リング(1999)」で映画デビューを果たします。
続いて、
「ほえる犬は噛まない(2000)」
「プライベートレッスン 青い体験(2001)」
「子猫をお願い(2001)」
「復讐者に憐れみを(2002)」
「頑張れ!グムスン(2002)」
「チューブ(2003)」
「春の日のクマは好きですか?(2003)」
「リンダリンダリンダ(2005)」
「グエムル 漢江の怪物(2006)」
と映画に、間々を埋める様にテレビドラマに出演していきます。
出演作はあまり多くはないのですが、そのいずれもが個性的で魅力的な役を演じていました。

それでは私が観た順番を辿って、各作品を簡単にご紹介していくのであります。
(〈韓国版リング〉と〈プライベートレッスン 青い体験〉の二つはまだ未見です)


「グエムル 漢江の怪物(2006)」
これは韓国初の本格怪獣映画です。
ソウルの中心を横切る大河「漢江(ハンガン)」。
日中そこから突然現れた怪物が、休日で賑わう人々を次々と襲い呑み込んでいきます。
多少「CG+合成」の粗が目立つカットもあるのですが、このシーンは映画冒頭から実に圧巻であります。
何より怪物が「人を喰う」シーンを、堂々と映像で見せた事が素晴らしいのです。

昔の「原子怪獣現る(1953)」でも、昔の東宝SF「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ(1966)」でも、近年の「ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)」でも、私が好きだったのは、怪物怪獣モンスターが「ちゃんと」「人を喰う」その恐ろしさとおぞましさを描いていた事にあります。

被害者の中には「漢江」の河岸で売店を営んでいる「パク一家」の小学生になる孫娘も含まれていました。
こうして離れ離れになっていた、祖父、長男、長女、次男の一家全員が集まり、死んだと思っていた彼女がまだ怪物の住処で生きている事が判明した後、家族が団結した「孫娘救出」の物語が展開するのでした。
「ペ・ドゥナ」は、その長女でアーチェリーの国体選手「ナムジュ」を演じていました。彼女には「いざという時には役に立たない」という属性が与えられています。
そんな彼女が最後の最後、凛として弓を引くシーンに、その鋭い怒りの眼差しに、私は完璧にやられてしまったのであります。
格好良いっ!
誰だ?何者だ、この女優は!?

これが私が初めて「ペ・ドゥナ」を観た映画でした。
単に「韓国の怪獣映画ってどんなモンかしらん?」という興味で観たのですが、それ以降の私の関心は女優「ペ・ドゥナ」に移っていったのです。
調べてみると、「グエムル 漢江の怪物」の監督「ボン・ジュノ」のデビュー作にも「ペ・ドゥナ」が主演している事が分かりました。
「ほえる犬は噛まない」であります。


「ほえる犬は噛まない(2000)」
これはオフビートに展開していくブラックユーモアなお話です。
郊外にある巨大団地の管理事務所でバイトする女の子「ヒョンナム」。
繰り返される平凡な日常にどっぷり肩まで浸かりながらも、何処か満たされない彼女の元に、紙束を持った小さな女の子が訪ねてきます。
「いなくなった飼い犬の、尋ね犬のポスターを貼らせて欲しい」。
これを始まりに団地内で連続する飼い犬失踪事件。
それは「ヒョンナム」の小さな正義感とささやかな名誉欲を刺激し、彼女を事件の真相究明へと駆り立てていくのでした。

「ヒョンナム」の目撃した犬を捨てるキャップ帽の男とは?
地下の管理層に伝わる「ボイラー・キムさんの呪い」とは?
そして団地を徘徊する謎の男の正体は?
などと「煽って」みましたが、本作は決して「ホラー映画」でも「サイコ・ミステリー」でもありません。
どちらかと言えば、本作は「奇妙で切ない青春物」なのであります。
最後には二つの結論「失敗したのに成功」「成功したのに失敗」が描かれており、それが物語に深い余韻を残すのであります。

エンド・ロールで流れる曲が、大昔の日本のアニメ「フランダースの犬(1975)」の「韓国版パンキッシュ・バージョン」なのには吃驚しました。
と同時に、これをエンディング曲にした監督の強かさにも感心したのです。
ある年代の者なら誰もが感じる「フランダースの犬」の唄にある「切なさ」と、本作品の根底にある「切なさ」が見事にダブるからであります。
調べてみると本作品の韓国原題自体が「フランダースの犬」。
日本版タイトルの「ほえる犬は噛まない」は、英語版タイトル「Barking dogs never bite」の直訳だったのです。
さらに後になって気が付いてみれば、劇中曲が全て「ジャズ」だったのも、これも私の好きな昔の海外アニメ「スヌーピー(1965〜)」へのオマージュだったのでありましょう。
実に素晴らしい演出、世界観の構築なのであります。

ちなみにこの映画は「真面目な愛犬家」にはお薦めいたしません。「愛犬家」には眉を顰めるシーンがいくつか登場するからです。

何はともあれ、私はこの映画にとても感激し、そして素晴らしい芝居を見せた主演の「ペ・ドゥナ」の決定的なファンになってしまったのです。

(ここまで観てきて〈ペ・ドゥナ〉に対する興味と共に、〈漢江の怪物〉〈ほえる犬は噛まない〉の監督〈ボン・ジュノ〉への興味も湧き、彼の別の作品も探して観ていく事になるのですが、その流れの話はいずれまた、なのであります)


「復讐者に憐れみを(2002)」
これはシリアスで陰惨な復讐劇です。
私は韓国映画には「全く」詳しくないのですが、それでも何本か観た中には、この手の「復讐劇」が物語のメインテーマとして描かれていました。
これは「良い悪い」ではなく、韓国映画の文化的嗜好なのでありましょう。
貧しい身障者の男と、その恋人でラジカルな革命家の女「ヨンミ」。
そして二人に愛娘を誘拐されてしまう小さな町工場の中年の社長。
一つの悲劇が次の悲劇を生み、不幸の連鎖が最後まで終わる事なく続いていくという陰鬱な物語です。

この映画、かなり残酷で衝撃的なシーンが多く、観終わった後、とても「暗〜い」気持ちになります。
その手の映像に耐性の無い方には、決してお薦めはしないのであります。

劇中「ペ・ドゥナ」が公園でゴム跳びしながら唄う歌があります。
本作で唯一、「ペ・ドゥナ」が愛らしく見える場面です。
「倒そう 共産党
何千万でも おお
大韓男子 勝利のみ いぃ
進もう いざゆこう 自由へと
進もう いざゆこう 自由へ ヤー!」
この歌、何故か私の耳に残り、今でもソラで唄えるのであります。
あ、もちろん日本語吹き替え版の方でですが。


「子猫をお願い(2001)」
仁川(インチョン)にある商業高校を卒業した仲良し女の子5人が、社会に出てそれぞれ別の人生を歩み出す、ちょっとほろ苦い青春群像劇です。
大都市ソウルに出て大きな証券会社に就職するも、学歴社会の軋轢に悩む「ヘジュ」。
家業のサウナを手伝いながらも、自分のやりたい事が見つからないまま無為な日々を過ごす「テヒ(これがペ・ドゥナです)」。
祖父母と共に貧しい家に暮らし、就職先が決まらず焦燥し自暴自棄になる「ジヨン」。
露店で自作アクセサリーを売ったりして、気ままに生きる中国系の双子姉妹「ピリュ」と「オンジョ」。
高校時代という「モラトリアムの日々」が終わり、現実社会の中で次第に身動き出来なくなっていく5人の少女たち。
彼女たちの暮らす「仁川」は、ソウルに隣接する大きな港湾都市で、国際空港がある事でも知られています。
これが物語の最後のエピソードに活かされていて、脚本・構成の上手さを感じたのであります。

友人想いの「テヒ」が貧しい「ジオン」の家に訪ねていく場面があります。
初めてやって来た孫娘の友達に喜んだ祖母が、山盛りの「蒸し餃子」を作り歓待するのです。
「おばあさんも食べて」。
「いいから、みんなアンタがお食べ」。
困惑しながらも、それでも真面目に真剣に次々と口に押し込んでいく「テヒ」。
この時の「ペ・ドゥナ」の芝居が、本映画の中で一番好きなシーンなのであります。

この映画は昔好きだった「樹村みのり」の漫画を思い出します。
不器用ながらも真摯に生きていく少女たちの姿を、実に感動的に描いているからであります。


「チューブ(2003)」
この映画はアクション大作です。
国家に裏切られ、妻も仲間も殺された元秘密特殊部隊のリーダーが、政府に復讐するため1000人以上の乗客ごと走る地下鉄「車両番号7103」をジャックするという物語です。
それに対抗するのが、そのテロリストに深い恨みを持つ若い刑事と、彼を密かに慕う女スリの二人。
その女スリ「インギョン」を「ペ・ドゥナ」が演じています。
革の赤いジャケット姿に、いつも背負っている「バイオリン・ケース」の出で立ちが、昔の日本特撮TV「キカイダー」みたいで、それが実に「キャラ立ち」していて格好良いのであります。

が、この映画、脚本と演出が悪く(致命的です)、本来説明すべきところが省略され、省略すべきところが執拗に描写されているという本末転倒ぶりで、とても残念な仕上がりになっていたと私は思います。
勿体ない。

ところで、ここに登場する「元秘密特殊部隊」の暗号名が「ロードス・チーム」。そのリーダーを「ビショップ」と呼称していたのは、日本のRPG「ロードス島戦記(1986〜)」からインスパイアされたのでしょうか。
それとも全然違う元ネタがあるのかな?


「リンダリンダリンダ(2005)」
「ペ・ドゥナ」が主演した日本映画です。
これに関しては前にエッセイ「学園祭は終わらない(2)」に詳しく書きましたので、本稿では省略させて頂きます。


「春の日のクマは好きですか?(2003)」
これは恋愛映画です。
高校を卒業しソウルの大型スーパーで働く、少しエキセントリックな女の子「ヒョンチェ」。
ある日、入院している父に頼まれ図書館から借りてきた「フレドリック・スチュアート(FREDRICK STUART)」の画集。
何気なくパラパラと捲ったページには、愛のメッセージが書き込まれていました。
さらにそこには「次はギュスターブ・カイユボット(GUSTAVE CAILLEBOTTE)の窓辺の若い男を見る事」と書かれていたのです。
それを自分に宛てたメッセージだと思った彼女は、本の書き込みに命じられるまま、次々と本を借りていく事になるのでした。
「ゴッホ(VINCENT)」→「愛の絵画(TABLEAU DE L'AMOUR)」→「ゴヤ(GOYA)」→「ミッシェル・ロイ(MICHEL ROY)」→「ルノアール回顧(RENOIR A RETROSPECTIVE)」→「風景のイメージ(IMAGE OF LANDSCAPE)」。
この図書館で借りた本が次々と連鎖し、それが段々好奇心から恋愛へと変化していくという展開、どっかで見たなと思ったらジブリのアニメーション映画「耳をすませば(1995)」なのであります。

この作品、監督が「これまでにないぐらい一番可愛くドゥナを撮るから」と彼女へ出演交渉をしたエピソードも伊達ではなく、本作品における「ペ・ドゥナ」はとても可愛らしく描かれていました。
空想シーンで、クマの着ぐるみを身に付けた彼女が舞台でタップを踊る場面など「尋常じゃないほどキュートでチャーミング」なのであります。
しかし、本作に於ける私の「映画的評価」は低いのです。

それは、本作が「単なる恋愛映画」である事。
私は「恋愛映画」が苦手、というより嫌いなのです。
映画でわざわざ「恋愛」など見たくなく、私が映画で観たいのは「センス・オブ・ワンダー」なストーリィとビジュアルなのです。
もっとも「恋愛だって立派なセンス・オブ・ワンダーじゃないか」と主張する方もいらっしゃるでしょうけども。


「頑張れ!グムスン(2002)」
これはコメディ映画です。
新米ママの「グムスン」は、ぼったくりバーに囚われの身になったちょっと頼りない旦那を救い出すため、赤ん坊を背負い単身、夜の繁華街へとやって来ます。
そこで次から次へと遭遇する「奇妙な一夜」の出来事。
中年男に絡まれている若い女を助け出し、コンビニで赤ん坊のオムツを替え、理不尽に解雇されたスナックの女を慰め、早朝突然やって来る夫の両親のため真夜中の歓楽街で「鯖」を探しまくり、暗闇から出現した謎の男に迫られ、浮浪者の一団に驚き、深夜営業の露店呑み屋の老夫婦に親しみを覚えたりするのです。
しまいには対立するヤクザの抗争に巻き込まれて・・・
あっ、これは黒澤明の「用心棒(1961)」の「ペ・ドゥナ版」じゃないか!
なんて事を思うのは私だけなのであります。

この映画は「ドゥナ・ファン」の評価では今一らしいのですが、私は結構好きな作品でした。
映画の中で「狂騒の一夜」を描くというのも昔から私の好きなシチュエーションでしたし、それよりなにより、怒ったり驚いたり呆然としたりする彼女の「表情芝居」と、深夜の歓楽街の表通りや裏通りを縦横無尽に駆け回る彼女の「走り芝居」を、十二分に堪能出来るからであります。
つまり彼女の魅力が詰まっている映画だと思うのです。

ちなみに画質が全編「荒く」感じるのは、16ミリで撮影したのか、それとも夜のシーンが多くて「感度」を上げたせいなのか、それがちょっと残念なのであります。
本作は日本の若手の力のある女優(例えば上野樹里とか)を使って、新宿歌舞伎町あたりを舞台に「丁寧にリメイク」しても、きっとそれも面白い映画になるに違いありません。



「ペ・ドゥナ」が出演する映画のジャンルはみな見事にバラバラで、演じる役柄も実に多種多様です。
しかし、全作に共通するのは必ず最後にペタンと「ペ・ドゥナ印」が押される事にあります。
それはシリアス映画であってもコメディ映画であっても、「不器用だけど一生懸命」というキャラクターに集約されるのかも知れません。

彼女の持つ大きな瞳はとても特徴的な外観です。
女優とはいえ東洋人には珍しいほどの「眼力」を感じます。
それが芝居に合わせ実にクルクル良く動くのであります。
丸みを帯びた顔立ちは少々幼く、その大きな瞳と合わせ決して「美人」ではないのですが、とっても「ファニー」で「キュート」です。
何だか昔の「ゴールディ・ホーン」を思い出したりします。
「眼で芝居の出来る役者になりたい」とは彼女のインタビューに度々登場するコメントですが、それを彼女は立派に実行、実現していると思います。

そんな愛らしい顔を持つ身体はというと、これがとても長身でスレンダー。モデル出身である事も肯かされます。
胴体から伸びた手足も、ちょっと持て余し気味なぐらい長くスラリとしていて、昔の漫画「ポパイ」に出てくる「オリーブ・オイル」の様でも、私の好きな漫画家「高野文子」の「るきさん」の様でもあります。


多くの「ペ・ドゥナ」ファンが、彼女が出てくる映画に期待するのは次の二つ。

一つは彼女の「豊かな表情芝居」です。
怒ったり笑ったり拗ねたり睨んだり泣いたり戯けたり、刻一刻と変化するその愛らしい「ペ・ドゥナ」の表情が観たいのです。

もう一つは「走るペ・ドゥナ」です。
彼女の走るシーンは映画の中でひとつのハイライトです。
それも決して格好良くではなく、どこかバタバタと滑稽に、それでも一生懸命に颯爽と凛々しく、長い手足を大きく振り動かし、とてもチャーミングに全力疾走するのであります。
シリアス映画の場合はそれが「健気」に、コメディ映画の場合はそれが「痛快」に思えるのであります。

もし「ペ・ドゥナ」の出てくる映画で、彼女を感情の起伏の乏しい人物に設定したり、彼女が走るシーンが無かったとしたら、その作品の監督は彼女の魅力を、そして観客が一番観たいと望んでいる事を、まったく判っていないと言えるでしょう。


最後に「リンダリンダリンダ」を別格にして頂いて、今まで挙げてきた映画の中で私の「ペ・ドゥナ ベスト3」を選ぶとすれば、
1.「ほえる犬は噛まない」
2.「子猫をお願い」
3.「頑張れ!グムスン」
なのであります。



蛇足1。
最初「ペ・ドゥナ」の言い方が難しく感じられたのですが、映画のメイキングやインタビューを見ると、みんな「ペドナ」って言ってますねー。
なるほど。それで良いのか。

蛇足2。
「リンダリンダリンダ」の監督コメンタリーを聴くと「ペドナシ」と言っており、これは「ペ・ドゥナ氏」だと思っていたのですが、韓国語で「シ=さん」の事で、つまり「ペ・ドゥナさん」と言っていたのですねー。
そうであったか。無知でお恥ずかしい。




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