【1)銀のロマンティック・・・わはは(1986)】 私が最初に「川原泉」を知ったのは「銀のロマンティック・・・わはは」でした。 |
ご覧のように、いかにも当時の「少女マンガ少女漫画」した絵柄で、多分、絵柄だけだと私はファンになっていなかったと思います。 私を惹き付けたのは、このタイトルでした。 本作は、ひょんな事からカップルを組まされた「影浦茂」と「由良更沙(さらさ)」が、「フィギュア・スケート、ペア」で頂点を目指す、いわゆるスポ根がちょっと入った物語です。 劇中で「銀のロマンティック」とは、「観る者の共感を生み魅了し、感動させる氷上の奇跡の事」と説明されています。 でも最後に付く「・・・わはは」って、一体何? 結論から言えば、それは「なんちゃって」の意味なのでありました。 「フィギュア・スケートの頂点を目指すんだ!・・・なんちゃって」なのです。 「川原泉」の全作品に通じる「肩肘張らずにお気楽に」なのです。 ビートルズで言えば「Let it be」、イーグルスで言えば「take it easy」。 「フィギュア・スケート」という作品から言えば、「本当に人を楽しませるためには、まず自分が楽しまなくっちゃ」という本質を語ったモノでもあるのでしょう。 また、「・・・なんちゃって」は、「川原泉」自身の作品に対する「照れ」もあるのかも知れません。 私はこの絶妙で気を惹くタイトルにやられてしまったのでした。 以前、女優の「松たか子」も本作を「好きな漫画ベスト」として上げていました。 本作品では「川原泉」の特徴である「博覧強記ぶり」も発揮されています。 例えば「ショート・プログラム」ではこう説明されています。 「7つの必要要素とそれらを繋ぐステップを、それぞれ工夫して自分の選んだ音楽に合わせて織り込み、2分15秒以内で滑り終わらなくっちゃーいけない。・・・がっ、時間一杯長く滑ればいいってもんでもなくて、よーするに『質』の問題なんだわな。 全員が決められた同じ要素を滑るわけだし、それだけに失敗すると確実に減点され、なかなか悲惨なので、スケーターの間では嫌われ者の情けねぇ種目」。 「川原泉」は一つの作品を描く際、執拗なまでの取材や勉強をしているのでしょう。 そして、作品になった時、単なる「蘊蓄漫画」となるのではなく、租借され「川原泉」の独自解釈が加えられ、面白く個性的な「川原漫画」となるのでした。 「川原泉」の漫画は、「知らなかった事を知るのは楽しい」事を改めて思い出させてくれます。 ファンの間では「川原泉」を「川原教授」、親しみを込めて「カーラ教授」という愛称で呼ぶ事もあるのです。 それも「川原泉」の描く漫画が、私たちの知識欲、学習欲、勉強欲を満たしてくれる作品だからなのです。 「川原漫画」のファンになると「教授の次の研究課題は何なのかな?」と楽しみになるのです。 最後に本作品では、後の「川原漫画」の核となる「聖ミカエル学園」が、すでに言及されている事にも注目すべきでしょう。 【2)フロイト1/2(1989)】 意外と多作の「川原泉」の漫画、少々迷うのですが・・・、私が一番好きな作品は「フロイト1/2」なのであります。 私は「夢判断」や「心理学」が好きで、「ジークムント・フロイト」なんて名前も昔から親しんできました。 そのせいもあるのでしょう。 また、このタイトルは大好きな「大島弓子」の「F(フロイト)式蘭丸(1975)」も少し匂わせています。 さて、「フロイト1/2」の「1/2」とは? 「荒唐無稽・・・矛盾・・・まぜこぜの時間と空間・・・だからといって、夢の本当の内容は少しも変わりはしないんだ。 時間と空間ってのは夢の本質的な内容にとって何の意味もないからさ」 という「ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイス」の「うつつの夢」の引用から始まるこの物語の、今回の「川原泉」の研究課題は「夢」であります(リュンコイスはフロイトと同時代の作家)。 お互い関係のない知らない同士の二人。 8歳の「篠崎梨生」と大学1年の「瀬奈弓彦」が、ある日、小田原城公園で出会います。 「梨生」は母を亡くし妹夫婦の元で暮らす夢見がちの少女。 「弓彦」は大学の山岳部に所属する前途有望な青年です。 その二人が、小田原城公園で「ジークムント・フロイト」の幽霊と出会うのでした。 そこで幽霊のフロイトは「提灯売り」をしていました。 「梨生」と「弓彦」は5円づつ出し合い、フロイトから「不思議な提灯」を買うのです。 それはペアになった二つの「丸形提灯」で、筆で大きく「西」と「東」と書かれていました。 二人が立ち去った後、フロイトが一人呟きます。 「提灯とは暗き夜、道行く人の明るく清かに照らすもの」、 「しかし、ひとつの夢をふたつに分けて、2人の人間に分離した場合・・・どーなるのかな?人は?夢は?」。 そして10年後。 二人は再会し、再び物語は動き始めるのでした。 女性と男性がふとした事で知り合い、そして恋に落ちる。 これは少女漫画の王道であります。 しかし、なにも、そこに1939年に亡くなった「ジークムント・フロイト」を幽霊にして、しかも小田原城公園に提灯売りとして出す必要性は、「何ひとつ全く無い」のであります。 私はこの発想が実に素晴らしい!と感激するのでした。 【3)食欲魔人シリーズ(1984〜85)、第一次産業シリーズ(1986)】 初期の「川原作品」で忘れてならないのが、「食欲魔人シリーズ」でありましょう。 「空の食欲魔人(1984)」 「空の食欲魔人 カレーの王子さま(1984)」「陸の食欲魔人 アップル・ジャック(1984)」「海の食欲魔人 不思議なマリナー(1985)」「青い眼の食欲魔人 ミソ・スープは哲学する(1985) 」「宇宙の食欲魔人 アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?(1985)」らの、食に纏わる作品群です。 また、「愚者の楽園 8月はとぼけてる(1986)」「大地の貴族 9月はなごんでる(1986)」「美貌の果実 10月はゆがんでる(1986)」らの「第一次産業シリーズ(かな?)」も、食に纏わる作品群に入れても良いでしょう。 「空の食欲魔人」と「カレーの王子さま」では「カレーライス」に拘り、「アップル・ジャック」では「アップルパイ」に拘り、「不思議なマリナー」では「海水魚」に拘り、「ミソ・スープは哲学する」では「味噌汁」に拘り、「アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?」では「お菓子」に拘り、「愚者の楽園」では「トロピカル・フルーツ」に拘り、「大地の貴族」では「酪農」に拘り、「美貌の果実」では「ワイン」に拘るのです。 かように、「川原泉」は食い物に拘るのであります。 「幼少の頃から、食うことだけが彼の生き甲斐だった」とは、「カレーの王子さま」の「吉川弘文」を形容する言葉です。 「『元気な時はたんと食え。病気の時はもっと食え』とゆーのが月森家の家訓でね」とは、「バビロンまでは何マイル?(1990〜91)」の「月森仁希(にき)」のセリフです。 (ちなみに、この仁希という名前は「仁木の菓子」から来ていると私は踏んでいる) 「食に纏わる作品群」に限らず「川原漫画」に登場する男も女も、みんな「食い意地が張っている」「食いしん坊」ばかりなのです。 しかも、グルメというより駄食、駄菓子好き。 「川原漫画」では好きな相手と恋が実るより、空腹から解放される方が大事なのです。 男と女であっても一番忌避すべきは「お腹が空く事」「ひもじい事」なのです。 男女一緒に「もぎゅ、もぎゅ」と満面の笑みを浮かべモノを食べる事が、「川原漫画」での一番のラブシーンなのであります。 そして、「川原泉」の主人公たちは皆、実に「健啖家」で、よく食うのでした。 「メイプル戦記(1991、1992〜95)」の女監督「広岡真理子」は、野球観戦の一試合の間に、 「甲子園弁当」「ポップコーン」「ビール」「アメリカンドック」「ハンバーガー」「すぱムーチョ」「トウモロコシ」「ペロペロキャンディ」「スルメ」「ソフトクリーム」「たこ焼き」「団子」「バナナシェイク」「スイカ」「かき氷」「二段アイス」「甲子園饅頭」「ドーナッツ」「バナナ」「リンゴ」「チョコレート」「茹で玉子」「どら焼き」を食った後、 宿屋に戻ってまた、 「タコ焼き」「ネギ焼き」「串カツ」「てっちり」「大阪寿司」「きつねうどん」「但馬牛のステーキ」を食うのです。 「川原漫画」における主人公たちの「食うシーン」は生きている事。 「食うシーン」は考える事、悩む事、喜ぶ事、悲しむ事であるのでしょう。 「もぎゅ、もぎゅ」時に「もきゅ、もきゅ」。 この食べる時の擬音も「川原漫画」の重要な意匠です。 それが「肉まん」でも「うで玉子(茹で玉子)」でも「ポテトチップス」でも「大福」でも、いや、単なる「ご飯」でも、「川原漫画」の食う擬音は「もぎゅ、もぎゅ」なのでした。 食う擬音以外でも「川原漫画」では、変わった言い方を見る事が出来ます。 「うで卵」「やでやで・・・(やれやれ)」「うんにゃ(いや)」「くらさい(下さい)」「だしょ?(でしょ?)」「だらう(だろう)」等々。 この鼻が詰まったような、少し脱力したような「言い回し」を、私は「川原泉訛り」と呼んでいます。 これも「川原泉」の一種の「照れ」なのかも知れません。 【4)笑う大天使(1987、1988、2006)】 「よーするに それは『綺羅の空間』だった」で始まる「笑う大天使」は、「川原泉」の実質的な代表作と言えるでしょう。 タイトルの「大天使」は「だいてんし」ではなく、「ミカエル」とルビが振ってあります。 つまり、「わらうミカエル」。 2006年に実写映画化がされましたが、非情な残念な出来でした。 川原ファンは誰しも、あの映画は無かった事にしていると思います(多分)。 あの映画では単に「良妻賢母を目指す上品なお嬢様学校に、三人の変わり者が入学。ある日、怪力を持ってしまう。 そして、時同じくして連続した名門女子校生誘拐事件に巻き込まれ、それを怪力で解決してしまう」という「笑う大天使」のエッセンスを、不器用に実写化しただけに過ぎません。 しかも、下手な(チープな)演出と安っぽい世界観で。 (漫画を実写映画化する際、同様の過ちを過去何回、日本映画界は犯して来た事か) 漫画「笑う大天使」の物語はこうです。 舞台は由緒ある名門女子校。 「おもに良家の子女を対象に 幼稚園から短大まで一貫した教育システムを誇る聖ミカエル学園は 明治36年創立以来 動乱の大正・昭和期を経て今日に至る名門女子校である」のでした。 そこに迷える子羊が三匹・・・いや、三人。 「更科柚子」は、両親のファミレス経営で突然成金になった三つ編みで小柄の女の子。 「司城史緒」は、母の死を切っ掛けに幼い頃生き別れた兄に引き取られたカーリーヘアの女の子。 「斎木和音」は、裕福ながらも仮面夫婦の両親と暮らす孤独でセミロングの女の子。 他の生徒とは密かに違和感を持っていた三人は、高等部2年の時、同じクラスになります。 似たもの同士、類は類を呼び、異質な三人は、さっそく友達になってしまいます。 作者によれば、「猫かぶりの三バカ大将」の誕生でした。 本作で「川原泉」は、従来の少女漫画の「男女二人」から「女三人組」の面白さに気づいたのでしょう。 この時期の「川原漫画」は非情にレベルが高く、漫画家として一番脂が乗っていたように思えます。 少年漫画も顔負けな上手い小道具・背景などの作画が見受けられ、推測するに優秀なアシスタントが付いていたのかもしれません。 (彼女の「メイプル戦記(1991、1992〜95)」というプロ野球漫画でも、「あんたは水島新司か!」ばりの上手い絵を描いていました。 この時も達者なアシスタントが付いていたのでしょう) 「笑う大天使」が描かれたのは、大きく三期に分かれます。 長編「名門女子校生連続誘拐事件」を描いた1987年。 短編「空色の革命」「オペラ座の怪人」「夢だっていいじゃない」を描いた1988年。 そして、映画公開に合わせ「笑う大天使 特別編」を描いた2006年。 「食う」事に拘る「川原漫画」は、本作でもたくさん食うシーンが登場します。 そもそも主人公三人が知り合ったのも、「史緒」が授業をサボって裏山の雑木林で、「アジの開き」を焼いていたからなのでした。 だいたい、「聖ミカエル学園」→「せんとミカエルがくえん」→「せんとミカエルが食えん」と読める事も、何やら意味深なのであります。 ここでも「博覧強記ぶり」が健在です。 「ーー1869年。帝政ロシアの偉大な化学者メンデレーエフは『元素と周期表』を発表した。 『元素を原子量順に並べると元素の性質に周期性が見られる』とゆー点においては 彼の説もドイツのマイヤーの説もイギリスのニューランズ説と同じであったが メンデレーエフの場合 さらに厳密かつ科学的なものだった」なんてセリフが出てくる少女漫画を、私は今まで読んだ事がありませんでした。 「聖ミカエル学園」は、他の川原作品「不思議なマリナー」「銀のロマンティック…わはは」「大地の貴族」「メイプル戦記」」にも登場しています。 【博覧強記ぶり】 「川原泉」の「博覧強記ぶり」には、どの作品を読んでも驚かされます。 もちろん、作家というのは皆、得意なジャンルを持っており、それが作品に投影されるモノだとは思いますが、彼女の場合それがとても広範囲に及ぶのです。 「原則。企業の原則とは それ自体 常に冷静であるべきである。 畢竟(ひっきょう)、状況には多様な局面が存在する。 故に私は一義的な判断を好まない。そして あるいはー現象、ましてや それが無視し得ない現象であっても 我々は多角的視点という柔軟な方針を忘れてはならない」。 これは「アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?」でのスカイ・アイ社社長「ナッシュ・レギオン」のセリフです。 「金 銀 瑠璃 玻璃 蝦蛄(しゃこ) 珊瑚(さんご) 瑪瑙(めのう)・・・ 七宝玉の光より 弥精(いやさか) 美貌の果実達 目覚めよ そして来たれ 我が許(もと)へ」。 これは「美貌の果実」での「葡萄の精」のセリフです。 「どーじゃな、少年。 備前長船長光・・・。長さ二尺三寸、反り六分。小板目のよく約ツんだ きれいな地鉄(じがね)に地沸(じにえ)細かにつき 脈映りが立ち 冴えておる。 刃文(はもん)は丁字に乱れに 僅かに五の目ごころがまじり華やか・・・。鎬(しのぎ)造りに庵棟(いおりみね) 腰反り高く踏張りのある堂々たる太刀姿であろう?」。 これは「架空の森(1986)」での「狩谷朔之介」のセリフです。 「私も何年か前、陛下の御命令で辺境視察に出た事があるから よく知っているんだがね。 『流沙葱嶺(りゅうさそうれい)』を越えての大変な旅だったのだよ、君。 流沙といえばゴビの砂漠にアラシャン砂漠、玉門関(ぎょくもんかん)を過ぎればタクラマカン、その左手に崑崙、右手には天山(てんしやん)山脈、キャラバン・サライを転々と砂漠越え、そんでやっと葱嶺だよ。パミール高原だ」。 これは「中国の壺(1989)」での「趙(ちょう)飛竜」のセリフです。 「椿森藩・高坂家と申せば三河以来、譜代・名門の御家柄にして、藩主・伊豆守俊邦候においては早くから幕閣(ばっかく)にも名を連ね、今や老中首座として並ぶ者なき御威勢と聞き及んでおります。 いくら呑気な若侍でも、それぐらいな事は・・・」。 これは「殿様は空のお城に住んでいる(1990)」での「鳴沢信之介」のセリフです。 単に「知識」だけではなく言葉の並び「語感」のテンポ・流れも良く、「長セリフ」でも心地良く頭にスラスラと入ってくるのです。 この饒舌さが苦痛ではなく、とても心地良いのです。 ファンでなくとも思わず「カーラ教授」と呼びたくなる理由が、判るのではないでしょうか。 【5)ブレーメンU(1999〜2003、2004)】 凡庸な風貌ながら、その実、銀河系随一の女性宇宙船パイロット「キラ・イレブン・ナイン」、本名「キラ・ナルセ」。 彼女がデビューしたのは、「アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?(1985)」という短編でしたが、その14年後「ブレーメンU」で連載漫画として再登場しています。 「キラ・ナルセ」は漢字にすれば(例えば)、「成瀬 綺羅」となるでしょうから、「よーするに それは『綺羅の空間』だった」で始まる「笑う大天使」シリーズとも何やら関係がありそうです。 タイトルの「U」は、前に「ブレーメンT」があるというワケではなく、主人公の乗る宇宙船の名前が「ブレーメンU」なのです。 また、有名な童話「ブレーメンの音楽隊」の「未来バージョン」という意味もあるのでしょう。 西暦2306年。遙か未来。 広大な全銀河に拡大する宇宙開発と、それに反比例する人類の人口減少。 その不足した労働力を、人間は遺伝子工学で「高度に知性化した動物たち」で補う事にしました。 「働く動物たち」、通称「ブレーメン」です。 「キラ・ナルセ」が船長を務める新造大型輸送宇宙船「ブレーメンU」も、彼女以外は全て「ブレーメン」たち。 マウンテン・ゴリラの副長に黒ヒョウやウサギの航海士。クマの機関長にカンガルーの船医。 パンダの料理長に犬の警備主任・・・、総勢「85匹」の知性を持った動物たち。 それと・・・、一匹の自称「火星人」の「リトル・グレイ」! 「人間」「働く動物(ブレーメン)」「異星人」「自律歩行植物(ドリアード)」、いろいろな形の生き物が当たり前のように宇宙を旅しているのでした。 ハイパー・スペース航法、スペース・サルガッソー、宇宙妖怪、続発する狙撃事件、謎の密航者、ステルス・スーツ、遭難する囚人護送船、正四面体のデータ結晶、黒山羊カイン、有機的ナノ・マシーン、超新星爆発、宗教惑星、ドリアード中毒、第6の封印、スイングバイ航法、テラ・フォーミング、二重惑星、鉱山惑星、名物花粉団子、DNA変異、仮想現実、宇宙風水師、エニグマ胞子、オーバーロード伝説等々・・・、行く先々で起こる怪事件や冒険の数々。 本作品は「川原泉」版「スター・トレック」であり、「宇宙船ビーグル号」なのでありました。 蛇足ながら。 昔から(中期頃かな)「川原漫画」ではコピー機を使った「同じ絵の使い回し」が行われていました。 私は漫画で「コピーを取って同じ絵を使い回す」のは昔から嫌いでした。 (いがらしみきお みたく、同じ絵でもコマが変わる度に一から描く漫画家、その作品が好きなのです) 本作「ブレーメンU」では、その同じ絵の使い回しが非情に多く、多分今日日パソコンに取り込んでいるのでしょう、まるで「ハンコ」を押すように、人物や小道具、背景が、「記号」として乱発されるのでした。 初期からの川原ファンとしては・・・少し寂しく思ったのでした。 【6)架空の森(1986)】 一番好きな作品は「フロイト1/2」だと書きましたが・・・、も一個「一番好きな作品」を書かせて下さい・・・。 「架空の森」という短編です。 「・・・何の花なのかは知らぬ。知らぬが その森には初夏ともなると 一斉に咲き綻(ほころ)ぶ白い花があった。 地味ではあるが見る者の心を和ませる 風雅な花なのだ」というナレーションで始まるこの叙情的な物語は、「川原泉」では珍しいほどの「少女マンガ少女漫画」している美しい作品です。 今回のエッセイを書くにあたって、私は手持ちの「川原漫画」を一通り読み直しているのですが(こんな事を毎年繰り返しているのです)、その度「架空の森」を読むと、毎回ポロポロと泣いてしまうのです。 主人公「狩谷苑生(そのお)」が14歳の頃から始まり、27歳になって終わる話です。 幼い頃に両親を亡くした「苑生」は、剣道の道場を営む祖父と祖母の三人住まい。 裏手には大きな森が広がっています。 ある日、その外れに母親と一緒に引っ越して来たのが、11歳の「御門織人(おりと)」でした。 「苑生」は、寡黙で剣道に励む変わり者の背が高く痩せた少女。 「織人」は、母親思いのよく喋る愛嬌のある幼い少年。 物語の開始早々、道行く「苑生」を見つけた「織人」の会話が圧巻なのです。 「苑生」はいつも馴れ馴れしく慕ってくる「織人」を、少々疎ましく思っています。 「こんな所にいたんですか苑生さん。ずいぶん捜したんですよ。 そこでボンヤリ突っ立ってどーしたとゆーんです。いや、そんな事は本人の勝手だからいいんですけどね別に。それにしたってきょうは良いお日和じゃあありませんか。ちょっとばかし歩いただけで汗ばむほどのいい陽気!いえね 私はちょっと こう足早で歩いていただけなんですよホント。やっぱ春先はこーでなくっちゃあいけません、はい。だけどこのお天気もいつまで続くことやら・・・。なんたって、ほら、春の次は夏とはいえ、その前に長雨ってのがあるでしょ。俗に梅雨ともいいますがね。あれがどーもいけない。梅雨になるといけませんね私は。いえ別に雨が嫌いな訳じゃあないんです。なんたって恵みの雨つーくらいで田んぼのイネもスクスクと・・・。 いつでしたか母と一緒に秋田へ旅をした折りに・・・、あ、某旅行代理店の『美味しんぼツアー』ってゆー企画だったんですが、あすこの田んぼってのがまた ばかげて広くって見事でしてキリタンポの原料たるお米の大集団に私は思わず感涙にむせぶに及んだわけでして。ええ、キリタンポはそりゃもう美味しゅうございました、はい。そんなこんなでとりたてて嫌いじゃないんです雨は。でもやはり雨が降るとあれですからね ほら、どーしても家の中に足止めって事になるし、私のよーな元気者にとっては何なんです。でも秋田といえばバスの窓から見た犬の姿が忘れませんね」。 「・・・少年」。 「驚いた事に犬が犬がですよ、広大な能代平野の波うつ稲穂にたかるスズメ達を追っ払っていたんですからえらいもんです。カカシじゃああはいきません。さらに驚いた事には その犬が三本松の門(かど)っこの小池さん家の番犬ゴンと瓜二つだったんですね。耳の垂れ具合といい尻尾の巻き方といい」。 「少年・・・」。 「そーいえば先程、その三本松の門っこで苑生さん家のおじいさんにお会いになりましたよ。いや〜いつもお元気で何より矍鑠(かくしゃく)たるもんです。私も将来あーゆー風になりたいなどと・・・」。 「少年!!」。 これだけの大量なセリフを、「1ページちょい」「9コマ」の中に詰め込んでいるのです。 いくら少女漫画が少年漫画に比べセリフが多いとは言え、これはいくら何でも異常です。 過剰です。 そして、この極端さが「川原漫画」の面白さなのです。 「苑生」と「織人」。 一見真逆とも思える二人が、実は孤独であるという点で共通していました。 やがて、「織人」はアメリカの大富豪の隠し子である事が判り、本国の殺し屋に狙われます。 それを救ったのが「苑生」でした。 そして、「織人」は本国へ帰る事になります。 長い年月が経ち、祖父夫婦も亡くなり、結婚もせず一人で道場を守ってきた「苑生」の元に、「織人」が帰ってきます。 あれから「13年間」が経っていたのです。 いつまでも結婚しない「苑生」に、節介焼きの叔父が見合いの席を用意してしまいます。 「綺麗な着物でも買うが良い」と祖父が残した現金を使い、着物を探しに行ったデパートで、「苑生」はつい興味を惹かれた「ゴジラの着ぐるみ」を購入してしまいます。 扉から数えて50ページ目。 立派な青年に成長した「織人」と、ゴジラの着ぐるみを来た「苑生」。 二人は寄り添いながら森の中を歩いています。 それを目撃した幼い兄妹の会話。 「・・・おにーちゃん。あれは何・・・!?」 「見るんじゃない妹よ」。 「夢だ、忘れろ・・・。架空の出来事だ・・・」 【お気楽呑気】 「川原漫画」の主人公たちは皆、どこか「のんびり」しており、どこか「お気楽」で、どこか「呑気」なのであります。 日々「のほほん」と「脳天気」に生きているのです。 決して「目立ちたがり」ではなく、控えめな性格なのです。 良く言えば、「細かい事は気にしない大らかな性格」。 悪く言えば、「気の回らない鈍感な性格」なのです。 「気が利かない」事でトラブルに巻き込まれたりもするのですが、最終的には「ま、いっか」と微笑むのです。 「美貌の果実」の秋月ワイナリーの人々も、自社ブランドに「サン・スーシィ(SANS-SOUCI)」=「お気楽」「呑気」と名付けるほどなのでした。 【7)〜あるシリーズ(2003〜)】 近年の「川原泉」の漫画にも少し触れておきます。 「私立・彰英(しょうえい)高校は県下でも指折りの全国でも有数の超・進学校で ーーつまりは偏差値が高い」で始まる本作品は、「聖ミカエル学園」以来の学園ドラマで、連作短編という形式をとっています。 全生徒数「912名」、一学年「304名」、一クラス「38名」。A〜D組が「理系」で、E〜H組が「文系」。学生寮も完備され県内県外から集まってくるマンモス校。 しかも、単なるマンモス校と言うだけではなく、彰英高校はトップクラスの「超・進学校」なのでした。 本作品は毎回主人公が代わっていく連作シリーズです。 「レナード現象には理由がある(2003)」「ドングリにもほどがある(2003〜04)」「あの子の背中に羽がある(2004〜05)」「真面目な人には裏がある(2005〜06年)」「その理屈には無理がある(2006)」「その科白には嘘がある(2006〜07)」「グレシャムには罠がある(2007)」「コメットさんにも華がある(2007〜08、2011)」。 登場人物はそれぞれ、 3年A組の「蕨(わらび)よもぎ」と「飛島穂高」。 3年E組の「亘理(わたり)美咲」と「友成真一郎」。 3年E組の「保科聡真(そうま)」と隣に引っ越してきた小学6年生の「若宮遙」。 3年F組の「日夏(ひなつ)晶」と「塔宮拓斗(たくと)」。 1年E組の「佐倉水樹」と生徒会長2年A組「不破一晟(いっせい)」。 3年A組の「月島水音(みなと)」と彰英高校OBで化学教師の「神城理人(りひと)」。 3年E組の「山吹みちる」と「陣内斎(いつき)」。 3年E組の「真島紗矢(さや)」と「彬良航(あきら・わたる)」。 互いに不釣り合いの二人が偶然知り合い、結果、親しくなるという物語です。 本シリーズの「川原泉」の研究対象は、「定理」や「概念」です。 「レナード現象」「ポジティブ・シンキング」「パトスとエトス」「ゲシュタルト崩壊」「幸せなセバスチャン」「除霊・浄霊」「グレシャムの法則」「恒星・惑星・衛星・彗星」等が、物語に組み込まれていくのです。 例えば、「レナード現象」とは、噴水や滝の周囲には「マイナス・イオン」が発生するという物理現象の事。 例えば、「グレシャムの法則」とは、16世紀の「トーマス・グレシャム」が唱えた「悪貨は良貨を駆逐する」という説。 「川原漫画」のトレードマークである「もぎゅ、もぎゅ」というモノを食う擬音や、「博覧強記ぶり」も健在です。 「アミノ酸2箇が結合した場合の化合物をジペプチド、3箇のものをトリペプチド、それ以上の多数のアミノ酸から成るものをポリペプチド・・・ってゆーのは聞いたことあるよね?」 「あるかもね・・・多分・・・アミノ酸ね・・・。タンパク質に関係があるよーな気がするね・・・」 「そーなんだよ。タンパク質の基本成分はアミノ酸残基から成るポリペプチド鎖で20種類のアミノ酸がタンパク質合成に関わっているんだ。 全てのアミノ酸は同一分子内に共通の二つの官能基(アミノ基とカルボキシル基)を持っていて、一つのアミノ酸のカルボキシル基ともう一つのアミノ酸のアミノ基が縮合(しゅくごう)してペプチドを形成するのは2種類の官能基の化学的性質に基づくわけだね」。 なんて長セリフ、他の少女漫画では決して見かけないモノだと思います。 【まとめ】 「世の中には知らない事が多すぎる」とは、「笑う大天使 オペラ座の怪人」の「更科柚子」のセリフです。 「今は先の事はわからない。それでも めげずに頑張れば 人にはそれぞれ華が咲く・・・」とは、「コメットさんにも華がある」の最後のナレーションです。 「川原泉」の漫画は、「上手くいかないモノたちのハッピーエンド・ストーリィ」という、結果、少女漫画の王道作品です。 しかしそれを、「饒舌で過剰な蘊蓄」という強固な鎧で武装しているのです。 「食」であったり「歴史」であったり「野球」であったり「哲学」であったり「SF」であったり、知らない事はたくさんあり、それを知る事は楽しく、学ぶ事は幾つになっても嬉しいのであります。 私の中では、70年代の「大島弓子」、80年代の「高野文子」、そして90年代の「川原泉」だと思っています。 この三人の女性漫画家に共通している事は、「頭の良い人」が「センスの良い」セリフを考え、「上手い」絵を描き、「面白い話」を作っている事にあると思います。 会話の妙。 展開の妙。 物語の妙。 面白い会話が連なって展開を成し、その展開が連なって素晴らしい物語となるのであります。 今回のエッセイ「川原泉の學問のススメ」によって。 以前書いた「大島弓子の真綿の温かさ」「高野文子の幕間の気持ち」と合わせ、「私の大好きな女性漫画家たち」三部作、これにて堂々の完成なのであります。 はい。 ふう・・・。 |
ご意見、ご感想はこちらまで |