SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.119
「漫画における『ない』けど『ある』(4)」
について

(2010年7月10日)


今回は前に書いたエッセイ
漫画における『ない』けど『ある』(1)
漫画における『ない』けど『ある』(2)
漫画における『ない』けど『ある』(3)
の続きなのであります。


「漫画」は「記号で成り立っている」と書いてきました。
そしてその「絵」と「セリフ」によって、物語を作っていくのです。

セリフは人や動物などのキャラクターから飛び出した「吹き出し」の中の「文字」によって語られます。



「吹き出し」は英語で「スピーチバルーン(Speech Balloon)」、つまり「言葉の入った風船」と呼ばれます。
上の絵で言えば、登場人物が「あっ」と喋っている事になります。

しかし次の場合は、少し事情が違う様です。



最初と同じに見えますが、「あっ」の「っ」が無く「あ」単体、書体も太く大きくなっています。
さらによく観察すると「あ」も斜めに傾いています。
これは単に登場人物が「あ」と喋っている以上の、何かを表現しているのです。
ちょっと気が緩み「無防備で間抜けな状態」とか、突然周囲の時間が止まり「意識が飛んだ瞬間」とか、予想外の事に驚き「茫然自失した感じ」とか、であります。
全て引っくるめて単に「空虚」を意味する記号として使われる事もありました。

これは70年代あたりに一部の漫画家に流行りました。
単なる台詞以外の意味を持つ「あ」は、この時代が編み出した雰囲気を表す効果だったのでしょう。
月刊漫画誌「ガロ」で「佐々木マキ」が、少女漫画誌では「さべあのま」がよく使っていた様に思います。

「さべあのま」の場合は、さらに「吹き出し」にも、こんな「ノイズ」をよく加えていましたっけ。



「吹き出し」の中の文字が単なる「台詞」だけじゃないパターンとしては、こういうのもありました。




「吹き出し」の中に大量の「あ」が入っています。
書体のサイズも皆バラバラです。
私はこれを80年代の「大友克洋」で初めて見て、とても驚いたモノでした。
斬新でとても格好良く感じたのです。

これは「パニック状態」になった人物が、極度に興奮し「あ」と声を震わせて叫んでいる表現なのです。
大昔の漫画なら「吹き出し」の中には単に「あ〜〜〜っ!」と書いた事と思います。

この様に文字をグラフィカルにレイアウトし、台詞以外の「何か」を表現する方法を「タイポグラフィ」と呼びます。
「漫画おけるタイポグラフィ」はとても興味のあるテーマです。

私は次のこの絵に、その萌芽を感じます。



まるで新聞や雑誌を細かく切って散らした様な台詞が、人物の回りに飛び交っています。
「吹き出し」で囲ってもいません。

これは65・66年の「石森章太郎」のSF漫画「ミュータント・サブ」で使われていた方法です。
超能力者の「サブ」に「テレパシー」で聞こえてくる様々な人々の「声」や「思念」の表現なのであります。

60年代の「石森章太郎」は、こうした実験的作画を繰り返していました。
私が「石森章太郎」で一番好きな時代です。
もっともSFでこうした「タイポグラフィ」を使い、SF的効果を表現した先駆は「アルフレッド・ベスター」の「虎よ、虎よ!(1956)」にあるのでしょう。
この小説をまだ未見の方にはお薦めします。
ちょっと驚きます。
石森はよく海外SFからパク、あ、いや参考にしていたのですが、特に「虎よ、虎よ!」が好きだったみたいで、タイポグラフィ以外にも他の漫画で幾つかのアイディアをパク、あ、いや借りています。


「吹き出し」の中の文字自体が「感情」を表現していると言えば、これもそうでした。



禍々しい手描きの「あ」です。
飛び散った血の様にも見え、この「あ」は明らかに「恐い」という感情を表しています。
「飛び散った血」と書きましたが、これは「歪み『ささくれ立った』恐怖の叫び」を意味しているのかも知れません。

これはご存知、「梅図かずお」であります。

上の絵はシンプル過ぎて雰囲気が出ないので、



こうした方が良いかも知れません。
え?輪郭の方を何とかしろと?




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