SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.184
「ビックマックサンド」
について

(2020年7月4日)


今回も食べ物の話です。
前回よりもっと大昔、私が大学生だった頃の話です。
短いエッセイです。



たぶん今でも多くの学生がそうであるように、当時の私はとても金が無く、その癖いつも腹を空かせていたのです。
大学の授業がある時は安い大学の学食や、安価な定食を提供する周辺の「学生街」でメシを食っていました。

金がある時は(滅多になかったけど)「いもや」でとんかつを食いました。
ここは大量のキャベツのみじん切りが付いてくるのです。
野菜を摂りたくなったら、金をためてここにやって来たモノでした。
この「いもや」は別店で天ぷらもやっていました。
初めて「穴子の天ぷら」を食ったのは、私は大学に入ってからなのです。

少し金が無くなると「キッチン南海」で、大好物の「カツカレー」を食っていました。
「さぶちゃん」という「ラーメン屋」にもよく行きました。
ラーメンと「半分の炒飯」が出てくる「半チャンラーメン」が好きでした。

まったく金がなくなると、大学近くにある「山田屋食堂」に行きました。
ここは以前のエッセイにも書いた事があります(卵付きカツ丼のセレナーデ)。

立派な建物の「研数学館」の裏手にあった、小さなカウンター席のカレー屋「わいわい」は、私が大学3年生の頃に出来た店でした。
ウチの学食のカレーは「水よりも水っぽいカレー」で有名でしたが、ここのカレーも同じ「シャバシャバ系」、でも「挽肉」が入っていたのです。
トッピングも豊富でしたが、カレーの上に乗せるのは私は「カツ」一択と決めています。
そう、私は「カツカレー」が大好きなのです(カツカレーの思想カツカレーの逡巡)。

私の大学がある最寄り駅は総武線の「水道橋」です。
その西口近くの商業ビル(一階がマクドナルド)の地下にあった「サンビーム」にもよく行きました。
店内に入ると、まず最初に大きなトレイを受け取ります。
右手の厨房のカウンターや、左手のステンレス・ケースに並んだおかずを選んで取りながら進んでいきます。
ここは「セルフサービス」の洋食屋で、コロッケ、メンチカツ、とんかつという「揚げ物」が多かったように思います。
最後にライスや味噌汁を取り会計、店内の空いている席を探して着くのです。
ここではよく「とんかつ三枚セット」を食っていました。
そしていつも「胸焼け」していました。
それでも、次の日にはまた食いに行っていたなあ。

本当に金が無くなると、喫茶店「フラミンゴ」に行きました。
ここの「ナポリタン・セット」は大盛り無料で、食後に「コーヒー」が付くのです。
申し訳程度のピーマンやタマネギの「切れ端」が入ったナポリタンに(ウィンナーの輪切りも入っていたなあ)、「粉チーズ」や「タバスコ」を大量にかけて食うのです。
ゆっくりしたい時や、友人とダベりたい時にはよく行ったモノでした。

ああ、何もかもみな、懐かしい。
あ、「ビックマックサンド」の話です。


大学がある時は学食や学生街で食えるのですが、問題は大学が無い時です。
マクドナルドで「ビックマック」をお持ち帰りします。
当時は発泡スチロール製の箱に入っていました。これ「クラムシェル」と言うみたいですね。
直訳すれば「貝殻」です。
今は「紙の箱」で少し安っぽいですね。ま、食うのは中身だからどうでも良いのかな。

そして家に帰り、その「ビックマック」を買ってあった「食パン」で挟むのです。
「食パン」は厚切りが理想的です。薄いと持ちにくいのです。



これを両手でしっかりと持って、無心に「ガジガジ」と食うのです。
結構、腹一杯になるんだよなあ。


暴飲暴食は若さの特権だと良く言います。
歳取ると、バカバカしい食い方はなかなか出来なくなるモノです。
「サンビーム」の「とんかつ三枚セット」なんて、もう食えないモンなあ。

今回のエッセイを書くに当たって、ネットで少し調べて見ました。

大昔、私が大学生時代、愛したメシ屋はみな無くなっていました。
「いもや」はまだあるけど。

「キッチン南海」は先月閉店したそうです(20200626閉店)。
「さぶちゃん」も3年前(20171101閉店)。
「フラミンゴ」も8年前(20120218閉店)。
それ以外の店は、もうとっくに無くなっているのでした・・・。
あ。「ビックマックサンド」も作ろうと思えば今でも作れるか。
作らんけど。




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